果たして、落語は誰のために演るのか?

…なんて大仰なタイトルを書いてしまいましたが、
演っていて、よく思う事なんですよね。
寄席には数多くの皆さんがお越し下さいます。
落語を初めて聴く方、何度かは聴いてらっしゃる方、
かなり聴き込んでいて、マニアの領域に入っている方、
色々いらっしゃいます。
その混在した状態というのに、
戸惑いを覚える事がしばしばあります。
「…あの人誰だっけな…よく見る顔なんだよ。絶対に知ってる人なんだけどな…忘れちゃったよ…あ、どうも!お久しぶりです。あの~、どちらさんでしたっけ?」
「バカ、お前の親父だ!」
なんて小噺があります。
『粗忽長屋』『粗忽の釘』『堀の内』といった粗忽者の噺では、
必ずといっていいほど、ふられる小噺です。
マニアの方にとっては、何十回も耳にしてるネタだと思いますが、
初めて聴く方には非常にウケるんですよね。
『ベタ』という言葉は、お笑いの世界では、
若干悪い響きで使われる場合が多いと思うんですが、
実は『ベタ』は最強なんですよね。
上記の小噺のように、
誰にでもウケるからこそ、『ベタ』になっていくわけです。
でも、マニアにとっては、
『何だ、またそれかよ…聴き飽きたな』
と思われる可能性も大です。
その狭間で、いつも苦悩するんですよね。
寄席自体の空気を良くするためには、
ベタなネタを多用して、笑いを多く取っていくのが
ベストな演り方だと思います。
でも、そんな時に私は、マニアの人に対する、
罪悪感みたいなものを感じてしまうんですよね。
考えすぎなのは判ってるんですが、
どうしても感じてしまうんですよね…
私が古典を演る時に、噺に手を入れて、
現代風のギャグを沢山入れたりします。
噺が壊れてしまうリスクを承知でギャグを入れるのは、
マニアに対する恐れから入れてるようなところもあるな~と、 時々思います。
でも、裏の裏は表みたいなもので、
考えすぎて自爆してしまうような事も多々あります。
それで噺が壊れてしまったら、本末転倒ですけどね
言葉は悪いんですが、
お客さんのレベルに応じて、寄席をやってみたいなと思います。
落語初心者の方ばかりの寄席には、
これでもかというようなベタの応酬で、
マニアばかりの寄席には、
落語を知っている者にしか判らないネタを多用して、
マニア心を刺激してみたいです。
一度実現させたいですね。
果たして、落語は、誰のために演るのか?
きっとこの先も結論の出ない、
私にとっての、永遠のテーマの一つです。
微笑亭さん太