クソをくらって西へ飛べ!
結局、私は一度も、談志師の高座を生で拝見する事は出来ませんでした。
長年、落語に携わっていながら、
とても不勉強で恥ずかしい事だと、今は後悔しています。
私と談志落語との出会いは、
大学の落研に入ってすぐ、部室にあったテープでした。
奇しくも私が落研に入る直前に、
豊橋でのラジオ番組の公開録音での音源でした。
談志師の『人情八百屋』、素晴らしかったです。
魂が震える思いがしました。
テープなのに、涙が止まらないのはなぜかと思いました。
その瞬間私は、立川談志という噺家に
『天才』というラベルを貼りました。
私如きが言うまでもなく、
談志師匠が天才であった事は言うまでもありません。
ただ天才ではありましたが、
『他の噺家全員にやる気をなくさせるような、
どうやっても追いつけない圧倒的な才能』と
『天才は、こうなると始末に悪くなる』という両面を
我々に見せてくれた方でもあろうかと思います。
常に落語と格闘し、葛藤し、もがいていたのではないかと思います。
その天才的な頭脳、落語に対する崇高な思いがありながら、
やがて飽きていったのではないかと思われます。
『普通の事を演っていたのでは面白くない』と。
これはお客さんが面白くないわけではなく、
自分が面白くないんでしょうね。
談志師は
『落語は人間の業(ごう)の肯定だ』という名言を残されてますが、
同時に『落語はイリュージョンだ』とも仰ってます。
その頃から、この言葉を盛んに使うようになられたような気がします。
談志師のエキセントリックな演り方は、時に反発を買い、
手抜きの印象を与えた事もあろうかと思います。
どんなに手抜きの高座をしても
『な~に、俺が本気になりゃいつだって、大向こうを唸らせる高座はできるんだ』
確かに、そうだったでしょう。
本当にその実力の持ち主だっただけに、
それが許されてしまったような面もあろうかと思います。
しかし、いかな達人といえど、
そういう『お遊び』を繰り返していると、
戻ってこられなくなる危険があるのです。
談志師匠のファンの方には申し訳ないんですが、
その落とし穴に若干落ちてしまった部分があるような気が、
私にはしています。
『本気』というのは、時々は出してないと、
本当に出せなくなってしまうものなんでしょうね…これは自らに言ってます。
…あ、いつも本気出してないという意味じゃないですよ(汗)
談志師匠の落語に興味を持たれた方は、
映像や音源が沢山出てますので、是非ご覧下さい。
出来れば、『頭にバンダナを巻くより前の談志師匠』をオススメします(笑)
今日のタイトルである『クソをくらって西へ飛べ!』という台詞は、
談志師がネタの中で、啖呵を切ったり悪態をついたりする時によく仰ってましたが、
自ら『立川雲黒斎(うんこくさい)家元勝手居士』なんて戒名を付けられたという事で、
まさに、クソをくらって西へ飛んで行かれちゃいましたね…寂しい限りです。
家元も あの世の寄席では 前座から
心よりご冥福をお祈り致します…合掌…
微笑亭さん太