長い包帯には巻かれろ
ちょっとした鎖国状態と言えなくもない状況が続いてたりしますが、
鎖国をしていた時代にも、珍しい輸入品が入ってくるという事があったようですね。
江戸時代の珍しい輸入品の一つに【ミイラ】がありましてね。
実際、寛文十三年、一六七三年、オランダ船が約六十体の
エジプトのミイラを持ち込んで売り払った記録が残っているんですね。
記録に残っていない物を含めたら、
江戸時代に相当多くのミイラが日本に入ってきたのは間違いないようですね。
ただ、江戸時代にミイラが輸入されたのは、
見世物として展示して一儲けという事ではなく、食べるためだったんですね。
食べるためといっても、アジの開きや味醂干しと同じ扱いではなく、
医者や薬屋がミイラを買い取っていき、薬として使われていたんですね。
海外でのミイラの扱いはどうかと言うと、
十九世紀にはロンドンで、ミイラの解包や解体が流行のショーになっていました。
主催者は医者や学者、興行者などで、
毎回チケットが取れないほど大盛況だったそうですね。
グルグルに包帯が巻かれた状態で台に載せられ、
観客が見つめる中で解包が行われるんですが、
開けてみると、いい感じで残っている物ばかりではなく、
包帯をほどいた途端、そっと巻き直したくなるほど中が腐って滅茶苦茶だったり、
包帯と体が化石のように一体化して解包が行えなかったりと、
色々なハプニングが起きたようですね。
開けてビックリ、何が出てくるのかお楽しみといった感じで、
怖いもの見たさの人間の本質をうまくついていたんでしょうね。
中には解包しようとしたら怒って立ち上がるミイラもあったりして・・・
恐らくミイラ男なんていう話は、この時代に生み出されたんじゃないかと思いますね。
ヨーロッパの画家達は、
ミイラをすり潰した粉には魔力がこもっていると信じていたため、
絵の具に混ぜて使っていたそうですね。
そうすると、乾燥した後で絵にひびが入らないと言われてまして、
他にも茶色の絵の具を作るのにも使われたそうですね。
博物館に展示してある絵の中には
ミイラの魂が宿っている物があるなんて噂もありまして、
「この博物館に飾られてる絵の中には、
ミイラの粉を混ぜた絵の具で描かれた物があるそうですね」
「はい、何点かあります」
「パッと見、判りませんが、何か見分ける方法はあるんですか?」
「はい、ミイラの絵の具で描かれた絵は、夜な夜な絵の表情が変わるんです」
ミイラの本場、エジプトでは、
ビックリする事にミイラを燃料にする事が多かったようですね。
松脂や瀝青が染み込んでいるミイラは、格好の石炭代わりになっていたんですね。
蒸気機関車の燃料として使われたり、工場の燃料に使われたという記録が残っていたり、
一般家庭でもミイラの包帯を燃やして料理などを作っていたという記録もありましてね。
【食べ包帯】ってのは、ここから始まったそうですけどね。
ですから当時の蒸気機関車の運転手は、
「このミイラは燃えが悪いな・・・おい、貴族のミイラを持ってこい!」
貴族のミイラには、ふんだんに松脂や瀝青が使用されていて、
燃えが良かったそうですが・・・現代なら、
松岡修造さんのミイラは燃えそうな気がしますよね。
微笑亭さん太