裁判はどちらが、勝ッタカナ?
「そりゃ、お前の顔怖いもん。女の子だったらスルーしちゃうよ」
なんて会話は、今時の日常会話としては普通にあるやり取りですよね。
どちらかと言えばユルさを感じさせる会話ですが、
本来【スルー】というのは【通り抜けて】という英語の前置詞ですが、
いつの間にか若者たちが【無視する】という意味で使うようになり定着してしまったわけです。
ところが、この中で言われている【スルー】という単語を【無視】に変えた途端、
殺伐とした感じが増量されてしまいますよね。
【無視】よりも【スルー】の方が意味がはっきりしない分、
柔らかく伝わるという効果があるわけでして、曖昧さを好む日本人としては、
こちらの方が適している気がしますね。
【悶着】と言うより【トラブル】、
【危険】と言うより【リスク】の方が深刻さが薄れる感じがして、
外来語の方が日本人らしい表現に映るというのは皮肉なものですよね。
以前、理解できない外来語が乱用され、精神的な苦痛を負ったとして
【日本語を大切にする会】という団体が、NHKを提訴したなんて事がありました。
確かに、報道機関で横文字が使われる率が年々アップしてる事は事実ですよね。
その時、提訴をされた団体の方が仰ってましたが、
「例えば【ルール】という言葉、なぜ【決まり】や【規則】と言い換えないのか」と。
「日本語にある言葉は日本語で表現するべきであり、これは【スルー】できない問題だ!」
・・・思わず使ってしまったらしいですけどね。
それでも高齢者の方々は、耳慣れないカタカナ語を使われると、
意味が判らないという現実はあるわけです。
【評価する】とか【査定する】といった意味で使う【アセス】なんて言葉も、
「ねえ、お爺ちゃん、【アセス】って言葉、知ってる?」
「知っとるぞ。夏場でも快適に過ごせる、質のいい肌着の事じゃろ?」
「・・・いや、【汗吸う】じゃないよ。じゃあ【ガラケー】は?」
「ラーメンのスープの種類の事じゃな。
『ここのスープは鶏の骨でダシを取ってるから、ガラ系じゃな』てな具合に使う」
「全然違うよ!二つ折りの【ガラパゴスケータイ】の略だよ。
じゃあ、【コンテンツ】は?」
「これはまた懐かしい名前じゃな。昔のプロレスラーじゃな」
「・・・【山本コンテンツ(小鉄)】じゃないよ!じゃあ【シフトする】ってのは?」
「これはまた破廉恥な。人妻と浮気するという事じゃな」
「【主婦とする】じゃないって!」
やはりなかなか、言葉の上でのジェネレーションギャップは埋められないようですね。
微笑亭さん太