創作落語作家の宿命
創作落語を作られる方が増えてきました。
これはひとえに、池田の大会の影響があるからかと思います。
あの大会において、古典落語よりも
創作落語の方が評価されやすい傾向にある事は
否定できないところではないかと思います。
優秀な作り手の方々によって、
後世にまで残るような素晴らしい創作落語が
生み出される可能性が広がってきたというのは
とても素晴らしい事だと思います。
『よし、俺もひとつ、面白い創作落語を作ってみよう!』
創作落語を作り始めるスタートは、
誰しも、この思いからのはずです。
こういった思いを抱くきっかけというのは
他人の面白い創作を聞いて『自分もあんな落語を作ってみたい』と
そこがモチベーションになっている事が多いでしょうね。
とりあえず1本書いてみます。
それを高座でかけてみて、うまくいったとします。
何度かかけてみて、評判もそこそこです。
それに気をよくして、もう1本書いてみます。
ここから【戦い】が始まるのです。
というのも、2本目を書いた時点で、
自分の作品の中での【順列】が誕生します。
つまり【1位】と【2位】の作品が存在するようになるわけですね。
2位の作品も、決して悪い出来ではなくても、
やはり自分の中での順列は2位なのです。
1位の作品の方がウケると思っているし、
ここ一番の舞台では、必ず1位の作品をかけるはずです。
これではいけないと思い、
2位の作品をかけてみるのですが、それを聞いたお客さんから、
「2位の作品も良かったけど、やっぱり1位の作品が面白いよね~」
これを言われてしまうと、ますます1位の作品しか
やれなくなってしまうのです。
作品の数が増え、3位、4位、5位の作品が出てくれば、
どんどんと、この傾向が強くなっていきます。
『1位の作品をやらずに、3位、4位の作品をやる必然性は
果たしてあるのか?』そんな思いが、
自分の中で強くなっていきます。
それが2位以下の作品の成長を妨げていきます。
創作落語は板にかけて、お客さんの反応というデータを得て
成長させていくものだと思いますが、
その道を自ら閉ざしてしまう可能性があるのです。
つまり己の作品の敵は、他人の優秀な作品ではなく、
【自分の作品】なのです。
自分で、自分の作品を越えられなくなるのです。
自他共に認めるような傑作が出来た後というのが
特に危険だと思います。
その作品しか、やれなくなってしまうからです。
「あの人、いつもこのネタやってるよね。もう飽きちゃったよ」
お客さんたちの、そんな【幻の声】が聞こえてくるような気がして
仕方がなくなってきます。
私自身が、そうでした。
私の中で傑作と呼べるようなものは、ほとんどありません。
ありませんが、それでも困った時に頼るネタというのは、
一つや二つはあります。
ふと気づくと、それしかかけてないような事が多々あるのです。
これではいけないと思いつつも、
なかなかそこから抜け出せないのが本当のところです。
生意気な事を書いてしまいましたが、
今日の記事は、自らへの戒めとして書いたものです。
創作落語を作られている方々は、
作品の成長を促すためにも、
色んな自作をかけていただきたいな~と思ったりします。
微笑亭さん太