私なりの、落語への懺悔
ちょっとだけ、考え方が変わった部分があります。
自分の芸風というのは、
ギャグ至上主義みたいなところがあり、
そのギャグを炸裂させるためには、
ネタの善し悪しもさる事ながら
【間】が全てだと思っていました。
すべからくお笑いというものは、
【フリ】【ボケ】【ツッコミ】で成り立っていて
それを的確な間で提供する事ができれば
大多数のお客さんは笑うものだと。
二つの点で線が特定され、
三つの点で面が特定されるが如く
フリ、ボケ、ツッコミという三つの点で
笑いという面が特定されるものだと信じていました。
それが絶対的な法則だと考えていました。
ですから私の落語は【左脳的】であり
落語の中に存在するドラマの部分を
ないがしろにしてきてしまった点は否定できません。
落語における演技というのは、
最低限のラインをクリアしていれば、
問題ないとさえ思っていました。
ネタの中でウケないギャグがあると
それはネタの質や演じる間に問題があると考え
カットしたり差し替えたりしてきました。
しかし最近、
あきらめずに演技を工夫してみると
【死にギャグ】だったものが、
笑いを取れるようになった経験が何回かありました。
自分の中で【演技を入れる感じ】にしてみたところ、
お客さんの反応が違ってきたという事ですね。
今になって
【ギャグを生かすための演技力を磨く必要がある】と
やっと気づいてきたというわけです。
『そんな事は、落研の1年生の時に気づけよ!』
って話なのは重々承知なのですが、
お恥ずかしい話ですが、これだけ高座に上がり続けていて
やっと気づいてきたのです。
何十回もやってきたネタでも
演技を入れる事によって、新たな扉が開く、
そんな可能性を感じるようになった
今日この頃という事ですね。
そしてつくづく、
落語の奥深さを再認識すると同時に、
自分は勉強不足なんだとマジで反省しました。
微笑亭さん太