出る幕じゃありませんが…
製作者サイドと、土屋さん、原作者(原案者)の間で
法廷闘争にまで及ぶかもしれないトラブルとなっています。
公演を楽しみにされてた方もいらっしゃるでしょうし、
非常に残念な事ですね。
それぞれの言い分が食い違ってますので
何が真実なのかは判りませんが、大きな争点のひとつに、
【作者の許可が得られていたかどうか?】という事があげられるようです。
作者が納得の上の改変が行われていたかどうか?という事ですね。
私も落語や漫才、コントといった、他人が演る前提の台本を書きますが、
それに対して【たたき台】という言葉を使う方が、稀にいらっしゃいます。
確かに出来上がった台本を見て、
そのネタがより一層面白くなるように、手を入れる事はあるでしょう。
しかし書き手の方は、
手を入れられる前提で書いているわけではありません。
書き上げた物は、自分の中では【100%の物】として上げているわけです。
書き手の中では、常に【完成形】でしかありえません。
それを【たたき台】と言われると、
最初から6、7割くらいの力でしか書いてないような、
手抜き台本のレッテルを貼られているような気がして、
少し悲しい気分になったりします。
こちらは、どの作品も全力で書いているのです。
『いや~このネタは、一言一句直すところがない完璧なネタだね~』と
いつか言われてみたいという願望を持ちながら書いているのです。
今回の騒動、台本がどんどんと原作から離れていった事に
原作者の方が不快感を表したと報道されています。
内容の改変につれ、
呼称も【原作者】から【原案者】に変わってしまったようですね。
【A】という作品を舞台化や映画化しようとする場合、
それを元に制作サイドが内容を若干改変した
【A’】という台本を作ったとします。
その改変がさらに進み【A’’】という台本になり
それならいっそ【B】という台本にしちゃおうとなった時、
【B】という作品は【A】という作品の原形を、
ほとんどとどめていなかったりする事があります。
多人数で物を創る場合には、そういう事もあるでしょう。
ただその時に、
【A】という作品、そしてそれを考えた作者を、
ないがしろにしてはいけないと思います。
たとえ【B】という作品が、
【A】という作品からかけ離れた物になっていたとしても
それは【A】という作品が存在してこその発展、発想ですから、
【核】となった物に対する畏敬の念は、忘れてはいけないと思うのです。
報道されている事が事実とすれば、今回の制作者サイドに、
そういった観念が少し足りなかったのかな~と思ったりもします。
あくまで私見ですが。
本来は人を楽しませるためにあるお芝居が
【泥沼の法廷劇】になるのは見たくないですから、
何とか円満に解決する方向に進んでもらいたいですね~。
微笑亭さん太