退化する進化論
不幸な目に遭ったりすると、
『この世に神はいないのか?』と思ったりしますが、
いるかいないかは、人それぞれの考え方ですよね。
キリスト教では、全ての生き物は神様が創った事になっています。
『全能の神が全ての動物を創り、最後に自分の姿に似せて人間を創った』
という記述が聖書にありますから、これによれば、
人も神が創ったわけですよね。
「ほら、聖書を見てみろよ。人間は神様が創ったんだよ。
だからさ、そのお腹の子も、俺が作ったわけじゃなくて、神様が作ったんだよ」
てな事を言っても、大きなお腹を抱えた愛人は納得してくれませんから、
世のお父さん方も気をつけていただきたいですね。
生物の進化を説いたダーウィンの『進化論』というのがありますが、
近頃アメリカでは、学校で進化論を教えるのを
止めるところが増えているそうでして、
進化論自体が『絶滅危惧種』みたくなっているそうですね。
というのも、
『この聖書の記述に進化論が整合しないので誤りである』という
『キリスト教保守派』の方々の主張により、
そのような流れになっているようですね。
神を信じない方々は当然、
『人はサルから進化した』的な考え方の進化論を支持されるんでしょうが、
この有名な進化論も、最近怪しくなってきているようでしてね。
そもそも、『生物の進化は本当に起こったのか?』という
根本的なところに疑問が出てきてるわけですね。
よく言われる事ですが、
『キリンの首が長いのは、長い首を持っている方が、
木の高い枝の葉を食べる事が可能で生存に適しているため、
段々と首の長いものが生き残っていった』というのが進化論の考え方です。
もしそうなら、なぜ首が伸びている途中の
『中くらい長さのキリンの化石』が無いのか?という疑問が生じるわけですね。
そういう化石は一切発見されてませんから。
ですからキリンというのは、
首が短い種類が徐々に長くなっていったわけではなく、
物凄く首の長かった種類が『…この首、邪魔じゃねえ?』と気付いて、
徐々に短くなっていって今の長さに落ち着いたものではないかと…
今度、学会で発表してみようかと思うんですけどね。
人間にしてもそうですよ。
そもそも原人とされる生物の化石と、
現代人の中間を埋める生物の化石が何一つ発見されていないんですね。
よしんば原人から進化をしたとしても、
そこで進化が止まってしまってるのがおかしいわけですよ。
これだけ他人の物を欲しがったりして、
欲望にまみれた人間が溢れていながら、
『喉から手が出ている種類』には進化してませんよね。
あるいは、『翼をください』なんて曲もあるように、
大昔から人間は自由に大空を飛び回りたいと切望しているにもかかわらず、
人の背中から羽根が生えて飛べるようになる進化は遂げていません。
…宝塚のトップスターを除いては。
一度でいいから空を飛びたいと、
『羽根が欲しい、羽根が欲しい』と願っていた人が、
背中からは生えずに、
お金に羽根が生えて飛んでっちゃったって話があるくらいでしてね。
「ダーウィンの進化論は間違ってるのかな?やっぱり、人間は神様が創ったのかな?」
「そんなわけないでしょう。もしも神様が創ってたら、
あんたみたいな『失敗作』が生まれるはずないじゃない」
…人の誕生に神が介在したかどうかは、
まさに『神のみぞ知る』という事でしょうね。
微笑亭さん太