枯渇する泉
落語台本の賞をいただく事になったわけですが、
今、改めて『落語は難しい、お笑いは難しい』と実感しています。
私も今まで何作か書いているわけですが、
例えば『職人さんの世界』であれば、経験を積み、技術を磨いていけば、
スキルアップして、その方なりの上達をされていく事でしょう。
やがては、『少なくとも、このレベル』という
ノルマ以上の製品、作品を作り上げ、
周りの信頼も勝ち取っていかれると思います。
しかし、創作落語は、書けば書くほど判らなくなっていきます。
書いているうちに、自分の考えたギャグなどが、
『…これ、本当に面白いのか?』と、
『笑いのゲシュタルト崩壊』を起こす事も、しばしばです。
そしてたまたま、他の方に評価される作品が書けたとしても、
それ以降の作品が『そのレベル』を約束するものではありません。
むしろ、良いアイデアを使ってしまった事により、
その分、自分の中のストックがなくなっていて、
自らを追い込むような事態になる可能性すらあります。
私などはまさにそれで、毎回『微笑亭さん太』という、
ごくごく小さな泉の水を一生懸命汲み上げていく事により、
もう、泉の底が見えそうになっているのです。
泉の魚が横になって、ビチビチはねてる状態です(マジで・笑)
先日の『お江戸日本橋亭』での発表会で
他の作家さんが書かれた創作を、師匠方の口演により聞く事ができましたが、
私の何十倍も優れた書き手の方は、沢山いらっしゃるんだな~と、肌で実感しました。
そういう方々の才能から学んで、
枯渇しかかっている『さん太の泉』に、
水を足すよう、より一層努力をしなければいけないと思いました。
『面白い事』というのは
『危ういもの』だと思います。
どんなに爆笑ネタでも、爆笑芸人でも、
毎回毎回、同じレベルで確実にウケるものではありません。
『テッパンネタ』と呼ばれるものであっても、
時と場合により、スベる事だってあります。
あくまでも『統計学』や『確率論』といった問題でしかないのです。
その時の芸人さんの体調や心理状態、
客席の空気や思いがけないアクシデント、
ほんの些細な条件で、本来なら笑いを生み出すものが機能しなくなる事態は
そう珍しい事ではありません。
そういう意味では、ネタを書く作業というのは、
『統計的にウケるネタ』を作り、
『ウケる確率を高める事』でしか貢献できません。
だからこそ、少しでもウケるネタを書けるよう
研鑽を重ねていかなければいけないと、
改めて思った、この数日間でした。
微笑亭さん太