感性はまだ未完成
春雨や五月雨、霧雨、秋雨、時雨、氷雨等々、
日本には実に沢山の雨を表す言葉や雨の呼び名がありますよね。
同じような降り方でも違う呼び名があったり、季節によって呼び方を変えたり、
一説には雨の呼び名だけで四百語以上あるなんという説もありまして、
日本はまさに【雨の国】と言えなくもないですよね。
雨は様々な感性や感覚を呼び起こしてくれるようなところもあるようでして、
空から水が降ってきた時に『これは雨というものだ』と判るのが【知識】で、
『濡れるから雨宿りしよう』と考えるのが【知恵】、
『五月に降る雨を集めると加速するのが最上川』と連想するのが【教養】、
『濡れないように、傘を作ろう』と思い立つのが【文明】、
『春雨じゃ、濡れていこう』と風情を楽しむのが【文化】という感じだそうですね。
さらに『雨とは何か?』と考えるのが【哲学】で、
『何故雨は降るのか?』を研究するのが【科学】、
『無防備に雨に打たれ続ける』のが【浄化】で、
『いつか、この雨は止む』と思うのが【希望】、
『傘持ってなくて、びしょ濡れになってるオッサンがいる』と写真をアップするのが
【ツイッター】でしょうね。
豊かな感性を持ちたいと願う人も多いでしょうが、
感性の合わない人と話すと、会話が成立しないという事がありますよね。
特に男女間では、そういう状況というのがありがちです。
ある旦那さんが会社から帰ってくると、奥さんが見慣れないスカートを履いていたんですね。
『新しいスカートなのかな?』と思い、
「そのスカート、いつ買ったの?」と聞いたら、
「安かったから」と奥さんが答えたんですね。
この時、旦那さんの方は
『話、聞いてんのか?答えになってないじゃないか』と思ってしまうんですが、
奥さんの方からしてみると『新しいなと思ったら、
【それ、いいね】とか、【似合うね】と言ってくれればいいのに、
何でそんな質問するの?』と思うんですね。
この旦那さんの質問、家計を預かっている奥さんにとっては、
『俺に黙って、いつ買ったんだ?』と聞こえるんですね。
だから『あなたに黙って買ったのは、安かったから』と言ってるわけで、
奥さん的には、ちゃんと質問に答えているんですね。・・・かなり言葉が省略されていますが。
他にも、こういうパターンのやり取りがありますよね。
食卓を見た旦那さんが、
「何、おかず、これだけ?」
「私だって忙しかったのよ!」
あるいは奥さんの方が
「あなたって、どうしていつも何にも手伝ってくれないの?」
「仕方がないだろ、仕事があったんだから」
こういう会話のすれ違いが行きつく先というのは、
「私と仕事とどっちが大事なの!?」
こう言われちゃうわけですね。
この時の正答というのは
『寂しい思いをさせてごめんね』と言って肩を抱く事で、間違っても
「本当の事を言えば角が立つし、ウソはつきたくないし」
これは絶対にNGですからね。
微笑亭さん太